ご都合主義

ストーリー展開に詰まったときに、「そんなん、ありえねーだろ」と思えるような展開が起きるが、こういうご都合主義と言うのは物語には必須なんだよな。だいたい、物語が立ち上がるためのきっかけは、よく考えると「ありえねー」と思われる日常から逸脱した部分が含まれるからこそ、人の興味を引くわけで。


平凡な人間も何千万人も集まれば、そのうち何人かは幸運の連続を拾って「ありえねー」ストーリーの如き人生を送る人もいて、歴史として刻まれることになる。だけど、その他の平凡に失敗する人たちは数限りなくあるわけで、作者が視点を変えてユニークな物語として成立させない限り、関係者各位の狭い範囲で語られるだけになるわけだ。


当然のことながら我々は平凡な人が殆どを占める。平凡な人間が他人の人生を教訓とするのだから、平凡人の平凡な失敗を学ぶ方が有用である。でも平凡な失敗って、ありふれているので、話として聞くには常識的すぎて退屈至極。曰く「勉強しないとだめ」「途中で放り投げるな」「楽な事ばかりしててはだめ」「経験者の話に耳を傾けろ」「スケジュール管理しなさい」「事前の調査は」…etc まあ、アタリマエの事だよな。


かくして凡人は平凡ゆえ、面白さを求めて「成功者」のノウハウものや空想の物語を好んで選択し、あまつさえ教訓(無意識にだけど)にしたりするわけである。中二病である。ビッグトモォゥローを目指せである。


しかしながら現実は厳しく、物理的法則に従ってしか物事は動かず、スーパーヒーローになれるクスリも魔法のスティックを与えてくれる小動物も現れないのである。現実の「成功者」は先に述べた「アタリマエ」の教訓をクリアし、地道に長い努力(本人はそれを努力と認識していないことが多いが)を延々と続けて幸運をつかんでいるわけで、単にそういう部分はツマラナイからはしょっているわけだ。


何が言いたいかというと「現実はかくも厳しい」のであるから「物語世界くらいは楽しく見せろ」。「ご都合主義バンザイ」なのである。その前提として殆どの人たちに「現実と仮想の区別」くらい出来るのがアタリマエであって欲しいのだが。