味噌もクソも一緒かよ


「銚子鉄道がピンチ、濡れせんべいを買ってください。」の活動が広がっているようで、人ごとながら嬉しく感じてしまう今日この頃。元々日本人は判官贔屓の特質があるが、それが気持ちの良い方向に進んでいるような気がする。


震災などのたびに支援が集まり、その度ごとにボランティアや寄付を行うための約束事や、何が迷惑で何が嬉しいのか、そういった事がネットを通じて広がる事も同じ仲間意識を持つものとして頼もしく思ってもいるわけだ。


さくらちゃんを救う会」のバッシングなどは、ネットの悪い面が強調されているが、結果として不当な募金に対する警戒心が高まった事は無駄ではなかったと思う。


ところで、2ちゃんねるなどを見ると、先の「銚子鉄道支援」のスレッドに「救う会とどこが違うの?」などと言う発言がちらほら挟まれている。本気で言っているのか嫌みで言っているか判らないが、前者ならアホだし後者なら卑しいとしか思えない。


募金や寄付は当事者が最大努力しても、それでもどうしようも無いから他人の善意にすがると言うのが暗黙の了解となっている。そして「情けは人のためならず」の諺通りに善意の輪を広める事を図るのが、善意を受けた人の当然なすべき事と言うのもそうだ。少なくとも俺の中ではそれが常識となっている。


この前提に立って、互いの善意を募る態度や状況を比べてみれば一目瞭然。逆に言えば、この2つを一緒くたに考える事が出来る人間というのはどういう考えを持っているのか。想像する事すら嫌になる。こういうのは少ないだろうとは思いたいが、普通の顔をして周りに存在すると言うのは、実に気持ちの悪い思いである。