愛という名の傲慢


昔々は鯨肉の大和煮の缶詰は、安い保存食の代表格だったが、最近は牛の大和煮になってしまった。あの独特の味は牛だと全然だめで、どうせ牛を保存食にするならハムなりコンビーフなりに加工して食べた方がはるかに美味い。そもそも値段が高すぎるよ。


鯨の場合、資源保護と言うよりは「鯨が可愛いから殺しちゃ可哀想」と言う主に欧米のエゴが形になったと言っても良いだろう。でも、可愛いから、可哀想だから、何故、食べちゃダメなの?と言う根本的な疑問が生じるのである。


食事のさいに、形を変えて出てくる肉に関しては、何から作られているかと言うのは意外に気にならないで食べれるもので、後で何の肉か聞かされて初めて気持ちが悪くなるものである。要は精神的なものなわけだ。


日本人の場合、エビ、カニは食べられても昆虫類は食べられない。サザエは食べてもエスカルゴはダメ、鶏肉はOKでも食用蛙はパス。まあ、色々あります。これらの物は、知らなければ喜んで食べても、知ってしまうと駄目な物の例だけど、ここに可愛いから、可哀想だから食べれないと言う要素は殆ど無い。


逆に、牛豚羊馬鶏なんかに対しては、非常に可愛らしくニワトリが首を絞められる処を子供達に見せたら大騒ぎになるわけで。でも、ケンタッキーフライドチキンは喜んで食べるわけだ。


何が言いたいかというと「可愛い・可哀想」と言う感情と「食べれる・食べれない」の感情には関係が無いのではと言うことである。にも関わらず「可愛い・可哀想」を理由に、「食うな」と言ってくる連中は、どっかピントがずれているとしか思えないのであります。