不信の連鎖


沖縄の集団自決の真相と言うことで、沖縄ノートの信憑性がまた失墜する自体となったわけだ。なってこったい。


マスコミってのは反権力に傾かざるを得ないと誰かが言っていたが、世の中の空気が自分に都合が良い時に、事実を碌に確認もせずフィクションをさもノンフィクションの様に語るのは、権力の横暴そのものの姿では無いのか。


事実は事実として、意見は意見として語らず、意見を補強するために事実をねじ曲げて語る。こういう事が続くから、新聞、TV、ラジオ等の今までのマスコミが信用出来なくなる。信用を作るのは時間がかかるが、壊すのは一瞬。


かれらが、報道として機能しないため、事実が知りたい我々は、情報源の調査と判断と言う労力を強いられてしまっている。本来、そういった労力を担ってくれるのが新聞でありTVのニュースであったのではないか。こっちがカネを貰いたいくらいだ。


事実のみを報道する新聞社なりTV局は欲しいが、それが無理なら「この人の意見なら信用できる」と言う個人なりグループが、ネットで発生してくるに違いない。神が死んでも、超人たりうるのは一部の人間だけだから。