惰性

本日のお題は、ネタがなかったためランダム辞書引きにて。


何となく言葉に悪いイメージがあるけれど、本来は慣性とか習慣とかと同じ様な意味なんだよな。意味もなくなったのに惰性で行われている無駄なモノが多すぎるから、悪いイメージが付いているわけで。個人的な行動の場合、惰性で行われていることが殆どなんだけど、考えずに行う事が出来ると言う事は有りがたい事だったりもするわけだ。


自動車の運転を思い浮かべれば良いが、慣れるまではイチイチ何かを考えながら行動を行わなければならないので、やたらと疲れてしまうし余裕が無いために行動自体も制限されてしまう。体に覚えさせてしまって、自動的に行動を行うのは、在る意味合理的な事である。


問題は合理的であったはずの行動が環境に合わなくなったり陳腐化した場合にどうするかなのだが、再学習を行うきっかけが発生しなければ惰性としてそのまま残ってしまうわけだ。


最初の学習は必要に迫られて習得したものであるから、その時点では最適な内容で有ることが多いが、それが陳腐化したとしても、まったく役に立たなくなると言うことは希だし、まったく役に立たなくなったとしても「それまでに作られた習慣を捨てる」と言うステップを踏んでからでなければ再学習が出来ない事を考えると、逆にハンデとなる。


自己否定を含む再学習の必要性を感じるところまで行っていればまだ良い方で、実際の処、ある程度の年配になると再学習の必要性すら認められないと言うところなのだろう。


結局、学習による惰性によって行動の合理化が行われたら、次は自己の行動パターンを定期的にチェックする事自体を習慣化し、「学習」→「パターン化」→「チェック」→「再学習」のサイクルを常に回している事が必要なのだろう。「学習」→「パターン化」までは学校で訓練するけれど、「チェック」→「再学習」の部分を訓練する処は少ない。


運動部や勉強によっては、単純な目的に対する「チェック」→「再学習」のフィードバック法は結構言われる処ではあるが、方法論自体に対するメタなサイクルを論じたノウハウってのは見たことが無いな。周期が大きくなりすぎるので、難しいとは思うけどね。